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アルベール・ラモリスの『赤い風船』は、わずか 34 分の短編でありながら、その時間の短さを忘れさせるほど豊かな映像体験を与えて くれる映画である。セリフは最小限に抑えられ、映像そのものが物語を紡いでいく。そのテンポは終始心地よく、「映画」であると同時に、一篇の「詩」を読んだような余韻のある作品となっている。
本作でまず印象に残るのは色彩の美しさだ。石造りの無彩色な街並みの中で、風船だけが鮮やかな赤色を放ち、つややかな表面に街の景色を映しながら軽やかに弾む。その存在感は圧倒的で、自然と目を奪われてしまう。
さらに驚かされるのは、風船が本当に生きているかのように動くことである。表情も声もない、ただの風船であるはずなのに、寄り添い、待ち、拗ね、喜んでいるように感じられる。そのように風船を操る撮影技術も素晴らしいが、この風船は表情を持たないからこそ、観る者がその時々の気持ちを映し込める存在になっているのではないだろうか。これは風船だけでなく、映画全体にも言える特徴である。登場人物の内面の説明は排除し、特定の価値観や感情を押し付けることもしない。その余白によって、風船は自由、夢、幼少期の思い出、孤独など、観る人それぞれの記憶や感情と結びつき、唯一無二の象徴となる。
私にとって、この風船は「有限の命の輝き」を表しているように思えた。物語の冒頭、階段に取り残されていた風船は、パスカル少年に見つけられた瞬間、命を吹き込まれたように動き始める。「人は二度死ぬ」という言葉がある。
「一度目は肉体が滅びるとき」、「二度目は人々の記憶から忘れ去られたとき」だという。もし風船にもかつて持ち主がいて、忘れ去られていたのだとしたら、パスカルとの出会いによって再び生き始めた、と考えることもできる。
しかし、生命には必ず終わりが訪れる。風船は悪ガキたちのパチンコに撃たれ、あれほど張りのあったつややかな表面には簡単にひびが入り、ゆっくりとしぼんでいく。劇伴は流れず、子供達の喧騒も消え、風船はただ静かに地面へ倒れていく。その様子をカメラは近づきも遠ざかりもせず、一定の距離から見つめ続ける。その冷たい視線は、生命が失われる瞬間を淡々と記録するドキュメンタリーのようでもあった。
そして迎えるラストシーン。街中の色とりどりの風船が集まり、一つの大きな塊となってパスカルを空へ連れていく。幻想的で美しい結末だが、同時にどこか不穏さも感じさせる。パスカルはどこへ向かったのか。それは自由への旅立ちなのか、それとも現実からの別れなのか。映画は最後まで答えを与えない。
童話とは、美しいだけではなく、ときに奇妙で、少し恐ろしいものでもある。『赤い風船』もまた、単なる心温まるファンタジーではなく、命の輝きと儚さ、そして喪失を静かに描いた現代の童話なのだろう。風船が何を象徴していたのか、その答えは作品の中にはない。だからこそ、この 34 分の物語は、観る人それぞれの人生と結びつき、何度でも新しい意味を宿すのである。 (吉野 真由)